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つ​く​ポ​エ vol​.​1

by つくばポエムコア同好会

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1.
新沢モトヒロは平均より少し優秀な大学生だった。 関東の有名国立大学に進学し、成績は上々。 周囲からの評判もよく、彼女もすぐできた。 その実力からサークルの代表にも選ばれ、幾多の難関を突破してきた。 これはそんな新沢の物語だ。 ある日のこと、彼はいつもの様にポイッターを眺めていた。 メンヘラ腐女子 リア充バンドマン キチガイ男子 タイムラインは相変わらず色々な書き込みに溢れている。 そんな中に混じって、彼の大好きな音楽ユニット 「ワールドアンドボーイフレンド」が新曲のプロモーションビデオを宣伝していた。 タイトルは「なまちゃん feat.POOL」 人一倍音楽に敏感な彼だが、この「POOL」という名前には聞き覚えがなかった。 動画の説明を読むと、どうやらこの男は「ポエムコア」なるジャンルの提唱者らしい。 「ポエムコア?」 新沢はこのジャンル名にも聞き覚えがなかった。 「俺が知らないということは、きっとマイナーなジャンルに違いない」 そう思った彼はさっそくポイッターで検索をかける。 するとファンと思わしき人々による大量の書き込みが現れた。 「POOLさん、ついにデビューか~」 「ポエムコアといえば、やっぱりブリーフ1枚だよね」 「なまちゃんが主人公の大作!これを待ってた!」 次々と現れる書き込みを眺めながら、新沢は思った。 「もしかして、ポエムコアを知らない俺のほうがおかしいのか…?」 さっそく動画を視聴してみる。24分という大作。 ブリーフ1枚の中年男性を主人公にした壮大な物語が、感動的な音楽と共に綴られる。 新沢はこれまで味わったことのない衝撃を受けた。 「これが…ポエムコア」 彼はそのまま、POOLが主催するというネットレーベル 「ポエムコアキョート」にアクセスした。 次から次へと刺激的な作品が現れ、彼の心を奪っていく。 興奮冷めやらぬ新沢は、さっそく自身もオリジナルのポエムコアを制作することにした。 最初の作品は、リストラされたサラリーマンが女子大生を鈍器で殴るというストーリーだった。 出来上がったポエムコアをさっそくネットにアップする。 しかし、2週間たってもこれといった動きはない。 数人の知人に勧めてみるも、反応はいまひとつだった。 やはり、ポエムコアは一般には受けないジャンルなのだろうか。 それでも彼はポエムコアを作り続けた。 次々と新曲をアップし、ライブも行った。 しかし曲の再生数は10にも満たず、ライブにはお客さんが5人しか集まらなかった。 そもそも、創始者であるPOOLのカリスマ性に圧倒されて、彼の作品は注目されなかったのだ。 POOLの圧倒的なオリジナリティ、それに立ち向かうのはあまりにも困難だった。 そんな時、彼の前に一人の男が現れる。 大学2年生の頃からの友人「ジョンガ」だ。 ジョンガは彼の周りで唯一ポエムコアに興味を持ってくれた人物だった。 ミックス技術にも精通した彼の力を借り、新沢の作品はクオリティを高めていく。 同時に、ジョンガも自身のポエムコア作品をリリースし始めた。 ジョンガのポエムコアはPOOLの巧妙なレプリカとでも言うべきものだったが、 それなりの再生数を稼いでおり、POOL本人からポイッターでリポイートされることもあった。 新沢はここに来て形容しがたい対抗意識に駆られるようになる。 そして、30分を超える大作「団地妻と逆立ち男」を制作する。 あとはミックス作業を残すのみとなった。 だが、その時ジョンガは36時間を超える超大作 「ナマコ星人ぽにょにょん」の制作に取り掛かっていた。 完成すればポエムコアの歴史に残るかもしれない。 新沢の心に凄まじい嫉妬心が湧き上がる。 ジョンガの自宅までは竹馬で3時間。 ネットでやり取りが簡単にできる時代だが、 新沢はジョンガの家に直接乗り込まずにはいられなかった。 深夜2時。つくばシティの闇の中を竹馬で疾走する新沢。 12月の寒さはタンクトップ1枚の彼の肌を容赦なく刺した。 新沢がジョンガの家に乗り込むと彼は河原で拾ったエロ本を読んでいた。 「新沢くん、ポエムコアにはエロ本が必要なんだ」 彼は真剣な眼差しで語り始める。 明け方まで激論を交わしたあと、新沢は再び竹馬で自室に帰った。 するとパソコンの前に黄色い雪だるまのようなキャラクターが鎮座している。 「やあ、おそかったね。待ちくたびれたよ」 「お前は誰だ」 「おいらはもにゃもん。君に一つアドバイスをあげよう」 「アドバイス…?」 「君にはポエムコアの才能がある。でもそれを開花させるにはあとワンステップ必要なんだ」 「なんだい?そのワンステップとは」 「君は、うなぎになるんだ」 「うなぎ…?」 「そう、うなぎ。そうすれば、君は世界トップクラスのポエムコアマンになれるよ」 そういうと雪だるまのようなキャラクターは霞のように消えてしまった。 夢でも見ていたのだろうか。しかし、奴の言葉が頭から離れなかった。 「うなぎになる…なんてクリエイティブなんだ!」 彼は行きつけの図書館でうなぎになる方法を徹底的に調べた。 その結果、一つの結論にたどり着く。 それからすぐ、新沢は大学から姿を消した。 1ヶ月後、彼は再び街へと戻ってきた。いつの間にか大学院生になっていた。 うなぎになるという彼の目標、世界最強のポエムコアマンになりたいという欲求。 それらに対する答えを今ここに彼は示した。 新沢は、全身にローションを塗りたくり、ぬめぬめになっていたのだ。 服装はもちろん全裸。 そのまま彼は街へと繰り出していく。 自作のポエムを口ずさみながら、商店街を練り歩く。 魚屋のおやじが彼に声をかける。 「何をやってるんだ君は」 「見てわかりませんか?僕はうなぎなんです」 「なんでもいいが、パンツくらい履いてくれ」 「うなぎはパンツを履きませんよ」 おやじはそれ以上言い返すことができなかった。 やはり彼の作戦は完璧だったのだ。 それからまもなく、向こうから見覚えのある顔が現れた。 ジョンガだ。 彼は開口一番こういった。 「いやはや、君には負けたよ。新沢、君こそ世界一のポエムコアマンだ」 二人は固い握手を交わし、朝まで公園で飲み明かしたという。 それから8年。ポエムコアはスカムなネタ程度という認識で、世間からすっかり忘れ去られていた。 その代わり台頭してきたのが「oscilloword」というジャンルだった。 「oscilloword」は2015年に19歳の日本人大学生「銀シャリジミー」が提唱した音楽で、 ヨーロッパを中心に圧倒的な支持を得ていた。 そのスタイルはポエムコアとよく似ていたが、oscillowordのほうが圧倒的にキャッチーで、ダンスミュージックとしての完成度も高かった。 新沢は再び嫉妬心に燃えた。モニター反射する新沢の歪んだ顔は、ひどく滑稽だった。 彼は久しぶりにポエムコアの制作を開始する。全360時間に及ぶ超大作「つくば叙事詩」だ。 制作作業は難航を極めた。朗読パートを録音するだけで数ヶ月を要した。 気がつけば彼は35歳。定職にもありつけず、窓の清掃で食いつなぐ日々。 唯一の娯楽は、ネットに散らばる無料コンテンツだけだった。 生活は一向に楽にならない。それでも彼はめげなかった。 そして2016年12月24日「つくば叙事詩」は完成する。 つくばシティを舞台に繰り広げられる壮大な物語。 主人公は若き日の彼自身だ。輝かしい大学時代から、ポエムコアに人生を捧げるようになってからの日々。 それは喜劇的でもあり、悲劇的でもあった。 今ここに、歴史に残る作品が完成したのだ。 しかし、彼はそれをネットに発表できなかった。 他人からの批判が怖かったのだ。 ネットにはゲスな悪意が渦巻いている。新沢のような隙のある人間はすぐカモにされてしまうだろう。 それが、彼の現実だった。 新沢は今日も窓拭きのアルバイトへ出かける。 勤務先に向かう電車の中、彼の頭のなかにはポエムコアが鳴り響いていた。
2.
それはかつて人々が相互を信頼し、それぞれの自由を尊重していた時代の話である。 積み重なる悪意による事件によって、お互いを信用できなくなった人々は、監視によって互いを牽制し合うようになった かつての制裁をもってその抑止としていた時代は終わった。 各々の行動は制限され、監視され、そして記録されることによって平和を保とうとしたのだ。 夜道を一人の女が歩く。 都市部だと言うのに街頭などほとんど無く、闇に包まれている。 道の先から一人の男が歩いてきた。 コート姿のその男は、どこにでもいるような身なりをしている。 女は男の姿に目もやらず、ただぼーっと街路を歩いている。 男と女の距離が縮まっていく。 男はコートから鈍器を取り出した。 女性の悲鳴があたりにこだました。 女は十八になるまでひたすら勉強に励んできた。 周りのバカどもには目もくれず、参考書と向き合ってきたのだ。 念願の大学入試に合格し、今日がその入学式の日だ。 今まで遊んでこれなかった分、これからは人生を楽しんでやる。 そんな意気込みが女の瞳にはうつっていた。 男は今日リストラを宣言された。 ただ闇雲に会社のために働いてきたのにだ。 不景気の煽りというやつらしい。 男にはかつて家族がいた。 多くは語らないが、今はその家族もいない。 もういっそのこと、一人道連れにして同じ絶望を味あわせてやろう。 そんな意気込みが男の瞳にはうつっていた。 女は入学式後、初めての友だちができた。 あまりにも話すことが楽しくて、近くのカフェで話し込んでしまった。 男はコンビニでビールを買い、家でアルコールを浴びた。 手に持ったハンマーを眺め、決心をし、それをコートに忍ばせ、街へと繰り出した。 男に頭を強打され、女は道に倒れた。 血の海がゆっくりと広がった。 倒れた女をじっと見つめ、しばらくの間駆け巡る罪悪感に身を任せたあと、男はそこから足早に立ち去った。 男が去ったあと、女はふらりと立ち上がった。 そしてどこかに歩いていった。 致命傷にはならなかったようだ。 後日男はテレビで、女が死んでいないことを知る。 ほっとした男は、警察署へ向かった。
3.
男の子たちにとっては、かわいいことがもっとも必要とされていることだと思う。かわいい女の子は、表立ってちやほやされるほどじゃなくても、周りはみんなやさしくしてくれるし、ことあるごとに話しかけられる。それが迷惑だってこともあるかもしれないけれど、たいてい悪い気はしないはずだ。 かわいいってどういうことなんだろう。かわいいって言って最初に思いつくのは、やっぱり顔だ。顔が小さいこと。それでいて、目がぱっちりしていること。鼻がちいさいこと。口角が上がっていること。肌がきれいなこと。あとは何かあるだろうか。 顔以外だったら、プロポーションだろうか。かわいいと思われるために、意外と必要なのは適度に背が低いことだと思う。それだけでちょこちょこして見えるし、小動物みたいっていうのはかわいいというのとほとんど同じなのだ。 でも背が高くてもかわいい子もたまにはいる。その場合はもちろん顔はかわいいのだけど、それに加えて天然だったりとか、仕草がかわいかったりする。仕草がかわいいっていうのは、ちょこちょこしてるってことで、それはやっぱり、背は高いけど小動物的だということなのではないだろうか。 20代前半くらいの若い子持ちの女の人は9割方かわいい。だけどまだ子供がいないカップルの場合はそうとも限らない。踏ん切りがつかないのか。何はともあれ、やっぱりかわいいほうからお嫁に行くのだ。 いま私が(私たちが)かわいいと思う基準って、きっと100年前、300年前、1000年前とは違うんだろうと思う。だからといって、いまのかわいいと思う意識を変えることはそう簡単には出来ない。でも、もし意識を変えることが出来れば、すべての女の子という膨大なリソースのうち、かわいい女の子という特定のカテゴリーに人気が集中することなく、それを効果的に分配することが出来る。と、ここまで考えたところで、世の中にはかわいい女の子だけではないということに気づく。かわいい女の子はかっこいい男の子とくっつくのである。 でもやっぱり、かわいくない女の子もかっこいい男の子とくっつきたいし、かっこよくない男の子もかわいい女の子とくっつきたい。やっぱり、人気は集中する。しかも相互に。 でも現実はかわいい女の子とかっこいい男の子がくっついて、かわいくない女の子とかっこよくない男の子がくっついて、うまくいっているのである。よく出来ている。 世の中はかわいいとかかっこいいという価値観ばかりではない。やさしいとか、頭がいいとか、足が速いとか、計算ができるとか、仕事ができるとか、気がきくとか、力が強いとか、芯があるとか、声が通るとか、おもしろいとか、いつも笑顔だとか、人を褒める言葉はそれ以外にも無数にある。でも、そんな中でもかわいさ(かっこよさ)はひと目見てわかるから、それに知らないうちに左右されるということはたくさんある。長く付き合っていれば相手の内面やその良さはわかってくるものだが、傍目を気にするとやっぱりかわいさ(かっこよさ)をひとつの基準にせざるをえないのだ。それに、誰にでも良いところはあるけれど、誰もがかわいい(かっこいい)わけではない。かわいいかどうかは、人を差別するための貴重な基準になるわけだ。 かわいい女の子は、自分がかわいいという自覚があるのだろうか。きっとあるだろう。
4.
かつて彼女というものが僕にもいたことがある。 高校時代の話だ。 彼女は出席番号が僕の次だったので、入学当初に隣の席になり、自然と話すようになった。 いや、「自然と」というよりは、僕が一目惚れして話しかけたと言ったほうが正しい。 彼女は特に美人というわけではないが、整った顔をしていた。 声はいわゆる「アニメ声」で、太ってさえいなければ2.5次元の存在と言った感じだ。 彼女のことを仮にNと呼んでおく。 Nとの恋人関係はそう長くは続かなかった。 一番仲が良かったのは付き合う直前までで、それから関係は悪化の一途を辿った。 理由は単純。僕らはお互いにメンヘラだったのだ。 Nは中学時代から精神科に通っていてリストカットやらオーバードーズやら、やることは一通りやっていたと聞く。 僕は僕で、医者にこそ行っていなかったが躁鬱病を患っていた。 別れを切り出されたのはNの誕生日だったと記憶している。 その時点で関係はかなりギクシャクしていたが、僕はなけなしの小遣いでプレゼントを買い、手渡そうとした。 彼女はその受取を拒否し、あらかじめ決めていたような口ぶりで別れ話を始めた。 僕は別れることには賛同したが、プレゼントだけは受け取ってくれるように頼んだ。 それ以来、恋愛とは縁のない生活を送っている。 そもそも、異性と仲良くするということは僕にとってそれなりに高いハードルだ。 大抵女子というのは群れをなして行動していたりするから、そこに割って入るのはどうにも気が重い。 仮に一人でいたとしても、話しかけるのはなんだかナンパじみている気がしていけない。 まして、何の用事もなくメールやらLINEやらをするのは失礼なような気がしてくる。 おまけに、僕自身が人から話しかけられにくいオーラを出しているようなので、異性と話す機会は限られてくる。 普通、こういう前置きをしたからにはここから前置きをひっくり返すような話が始まるのだが、僕の場合そういうこともない。 淡々と、異性と縁のない生活が今でも続いているだけだ。 僕は今、歌を作ることを仕事にしようとしている。 自分で歌うこともあれば、ボーカロイドを使うこともある。 いずれは誰かに自分の歌を歌ってもらうことも考えている。 詳細は伏せるが、今確実にスタート地点には立っている。 創作活動というのは総じて体力を必要とする。 体力は精神力以上に重要だ。 ところが、今その体力が底をつきかけている。 異変を感じたのは2~3週間前からだ。 カップ麺とかコンビニ弁当とかインスタントな食事の、特に炭水化物を体が受け付けなくなった。 コンビニで売っているおにぎり一つが食べきれない。 口に入れた瞬間もどしそうになる。 そういうわけで、一人暮らしに限界を感じて実家に帰ることにした。 実家に帰る日、地元へ向かう高速バスに乗るため東京駅に向かう。 駅についたのは高速バスが出る1時間前だ。 僕はこの1時間を適当に散歩をして潰すことにした。 イヤホンをかけ、音楽を小さめの音量で聴きながら歩く。 「音楽性の違いにより解散しました。」というボーカロイドを使ったユニットの曲が流れる。 夜の東京。 腕を組む若い男女。 疲れきったサラリーマン。 死んだ目のホームレス。 電子音とアコースティックギターの音が耳に流れ込む。 ふいに、走り去る車のライトがにじんで見え始めた。 音楽と、目の前の光景があまりにも美しくシンクロしている。 僕は一旦音楽を止め、公園でタバコをくわえる。 「すいません」 警官らしき人物が声をかけてくる。何を言われるかは見当がつく。 「ここ、禁煙なんです。よろしくお願いします」 僕は即座に火のつきかかったタバコを携帯灰皿に入れ、警官に謝った。 最近はどこに行っても禁煙だ。何も書いてない場所でも禁煙なのだから困ったものだ。 僕はまた、さっきの音楽を聴きながら夜の東京を歩く。 再び、音楽と風景がシンクロする。 その美しさは、僕の心を震わせるのに十分すぎた。 「ねえ、ケンタくん」 僕の前に、黄色い雪だるまのようなキャラクターが現れる。 「突然現れてこう言うのもなんだけど、しばらく実家で休みなよ。君は今あまりにも弱ってる」 「ありがとう、もにゃもん。こんな形で会えるとはね」 「ああ、君はおいらを知っているんだね。なら、なおさらおいらの忠告の意味はわかるだろう?」 僕は静かに頷く。零れ落ちそうになる涙を拭う。 もにゃもんは微かな笑みを浮かべて闇の中へ消えていく。 気がつくと、バスの発車時間が迫っていた。 Nはどうしているだろうか。きっとメールはもう受信拒否にでもされているのだろう。 僕は、どうせ返事の来ないであろうメールを打とうとして、止める。 夜はまだ、始まったばかりだ。
5.
花々しいバナナの冠を被ったブタは分度器とリコーダーを携えて行進してくる刺々しい腰つきの女たちを一人二人と交わしながら、鹿嶋市の師走の習わしである忙しい忙しい踊りをたったの一匹で踊った。 いつものことながら、一ミリの予断をも許さない状況である。 このおかげで彼のブタは見る影もないほどやせ細っていた。 余った皮がたるみ、ルランルランと揺れている。 それを草原の影から見守っているのは一人の少年。 実はこの少年、かれこれ二時間もずっとこの状態で動いていない。 ただじっと、黄色い冠を被ったブタと、純白のワンピースを身に着けた幾人もの女たちが入り乱れるのを見守っているのである。 ゆくゆくは彼もこの騒ぎに参戦することになるのだが、それはまだずっと先の話である。 話を元に戻すとしよう。 弓子はカップに注いだコーヒーを見つめていた。 その暗さと深さを確かめているように、周囲からは見えなくはないが、彼女の頭の中では別のことを考えていた。 考えているところに時々珈琲の匂いがゆらゆらと近づいてきて、彼女の思考に少なからぬ影響を与えた。 「それで宇宙か」 弓子は呟いた。
6.
行方不明になった少女を探すべく、 俺は旅に出ることにした 罰ゲームのように短いミニスカート それが彼女の特徴だ。 パンティーがほとんど丸見えになっている。 そんな彼女が姿を消したのは去る12月2日だった。 俺と彼女には特に接点はない。 街中で彼女の行方を探すポスターを見かけてこの旅を企画したのだ。 俺は無職童貞35歳。彼女は18歳の女子高生。 ある意味では俺の方が不審者なのかもしれない。 ポスターに載っていた彼女の写真をスマホで撮影し、 聞き込みを開始する。 俺は探偵ではない。聞き込みなど、やったこともない。 だが、どうしても彼女の行方を知りたかった。 「この女の子を見かけませんでしたか?」 「んー、手羽先」 聞き込みを開始するがこれといった手ごたえはない。 返ってくるのはクソリプのような返事ばかりだ。 手元のエイフォンセブンを開くと、マックバレンが俺に微笑んでいた。 俺はなんとなく、鍛冶屋の親父に電話をかけた。 「おっさん、今人探しをしてるんだ」 「ああ、蒲田んとこの息子か」 「18歳の女子高生で、罰ゲームのように短いミニスカートが特徴なんだけど」 「んー知らんなぁ。警察には聞いたのか?」 「警察もお手上げらしい」 「んー。じゃあ、諦めたらどうだ」 結局、何の収穫もなく通話は終わった。 やはり、諦めるべきなのか 気が付くと浜辺に立ち尽くしていた。 「俺はどうしたらいいんだ。父さん…母さん…」 「(第9の鼻歌)歌はいいわね。歌は人々の心を癒してくれる。人類が生んだ、文化の極みだわ。 そうは思わない? 蒲田研太くん」 俺の隣に立っていたアラサーくらいのOLが声をかけてきた。 「なぜ、俺の名を?」 「知らないものは居ないわ。あなた、アラサー女子の憧れだもの」 そんな話は聞いたことがない。 「それより、俺は人を探してるんだ」 俺は写真を見せる。 「じょ、女子高生!? うわあぁぁ」 アラサーOLは泡を吹いて倒れてしまった。 キラキラに輝く女子高生はアラサーにとって毒物だという事をすっかり忘れていた。 まわる羊 よこしまなサンマ 霞が関のペンギン 誰も少女の事を知らない。 足の長いタコ娘が、無邪気な笑顔を振りまく。 ずいぶん遠くまで来たような気がする。 ポケットに入れていた煙草も空になってしまった。 途方に暮れていると、俺に声をかけてくる男が現れた。 「君が探している女の子、見たことあるよ」 男は冬だというのにボクサーパンツ1枚だ。 やばいやつだと思いながらも、少しでも手がかりが欲しい俺は話を聞くことにした。 男の話によれば、彼女はつくばシティのボロアパートの前でスマホを眺めていたらしい。 さっそく原付を飛ばして例のアパートへ赴く。 するとそこには掃除のおばちゃんが黙々とゴミを拾っていた。 おばちゃんに少女の写真を見せる。 すると、意外な返事が返ってきた。 「ああ、この子なら最近よく見かけるわよ。いつも誰かを待ってるみたい」 俺はおばちゃんに礼を言い、そのアパートを見張ることにした。 張り込みを始めて1週間。ついに少女は現れた。 少女はやはりスマホを眺めている。 指の動きからして、ポイッターでも見ているのだろう。 俺は思い切って声をかける。 「あの、あなた、行方不明になってる美代子さんですよね」 少女は驚きの表情を浮かべる。 明らかに引かれている。 俺は少女を安心させるために、事情を説明する。 すると少女は、思いつめたように話し始めた。 「ある人と会う約束をしたんです。でも、会うためには家出をしてくれと言われたんです」 人の事を言えた義理ではないが、彼女と会う約束をしている男はどう考えたも不審者だ。 「早く家に帰った方がいいですよ。その人、絶対怪しい」 俺はそう忠告したが、彼女は耳を貸そうとしない。 「どうしてもその人に会わないといけないんです。私の人生に関わることなんです」 「理由を聞いてもいいですか?」 「私には夢があります。その人と会うことが、私の夢に近づく一歩なんです」 「なるほど。でも、両親には無事であることを伝えた方がいいですよ」 「それもできません。彼との約束なんです」 俺は彼女の熱意に押されて、それ以上の追求はできなかった。 代わりに、彼女に連絡先を教え、何かあったら俺に連絡するように頼んだ。 それから数日。ついに彼女から電話が来た。 約束の人物とついに会う事が出来たらしい。 彼女の身の安全も確保されているようだ。 俺は安堵し、家に帰ってネットの海に身を投じた。 そこで俺は、見覚えのある顔を目にする。 彼女は、イカ王国の王妃になっていたのだ。 ポイッターではその話題で持ちきりになっていた。 フェイスパックのユーザーは次々とイカ王国の国旗をアイコンにし始めた。 俺はその日から、左の鼻だけ鼻水が止まらなくなった。 それから1年。イカ王国は民主派による革命でイカ人民共和国になった。 亡命した彼女の行方は誰も知らない。 俺は6畳のアパートの部屋の隅で、彼女のパンティーの食い込みを思い出しながら泣いた。
7.
僕が十二歳の時、核戦争が始まった。 一発の誤射が原因らしいが、詳しいことは知らない。 とにかく、それは起きたのだ。 核の炎は様々な都市を破壊し、瓦礫の山と放射性物質だけが残った。 SF映画みたいに。 でも、映画のように世界は滅びなかった。 それは、とてもとても時間のかかることなのだ。 だらだらと無駄な抵抗を続ける僕ら。 「死んでもいいや」という気持ちと、「生きていたい」という本能。 その二つの狭間で、今日も生き続ける。 気がつけば僕は二十歳だ。 昔なら成人式なんてものに参加させられていたに違いない。 成人、か。 この世界に子供はいない。 少なくとも、無邪気で純粋な子供などいない。 生き残るのは、人を出し抜けるやつらだけだ。 僕もまた、その一人だった。 今、ズボンのポケットに千円札が一枚入っている。 前にどこかで拾ったのを、お守りがわりに持ち歩いている。 もちろん、生活の役には立たない。 食料の配給は、かれこれ一週間は止まったままだ。 再開の兆しはない。 路上にあふれるのは、生きているのかどうかもわからない人たち。 僕はまだ、二本の足で歩いていける。 でも、体が元気なやつは大抵気が狂っている。 僕もきっと、狂っているに違いない。 少女がずっとこっちを見ている。 僕は意図的に目を合わせる。 僕らは立ち止まって目を合わせ続ける。 無言で手を差し出す少女。 無言で薄ら笑いを浮かべる僕。 お嬢さん、人を甘く見るんじゃない。 心の中で呟く。 僕はずっと少女の目を見つめている。 その目には、まだ光がある。 突然、気の狂った男が叫び声をあげる。 僕も少女も、その程度では微動だにしない。 腹が減った。 今は水しか持っていない。 薄汚れた水筒に、薄汚れた水が入っている。 それも、ほんの少し。 少女とのにらめっこはこれで終わりだ。 何か、食べられるものを探さないといけない。 僕は目をそらして歩き出そうとする。 すると、少女が駆け寄ってきた。 僕の服を、力一杯つかむ。 でも、彼女は何も言わない。 お互いに、何も言わずともわかっている。 僕の力ではどうにもならない、ということも含めて。 僕はポケットの千円札を握りしめる。 ああ、わかったぞ。 この千円札は僕なんだ。 彼女にとって、僕はそういう存在なんだ。 期待するだけ無駄な、希望。 人は、たとえ無駄だと知っていても、何かにすがりたがる。 そういう生き物だ。 僕は、覚悟を決めて水筒を手に取る。 薄汚れた不味い水を、一気に飲み干す。 水筒が空になったことを、少女に示す。 彼女は唇を一文字に結んだまま、僕をにらむ。 「悪いね、もうおしまいだ」 僕はそう言い放つ。 彼女は、僕の服から手を離す。 それだけだ。 本当に、それだけだろうか? 上着のポケットに、ずっと開けていないガムがあったはずだ。 僕は上着を探ってみる。 ガムは確かに、そこにある。 ガムを開封する僕を、少女が見ている。 ガムの匂いを嗅ぐ僕を見ている。 僕は、ガムを一枚口に入れる。 うっすらと味がする。 気がつくと、少女の手にもガムがある。 彼女はそれを口に入れる。 無言でガムを噛む僕ら。 いつの間にか、少女は姿を消す。 僕はまだ、遠くを見ながらガムを噛んでいる。 世界の終わりに、千円札を握りしめて。
8.
さよなら、さよなら、さよなら。 そう言って僕は屋上から飛び降りた。 さよなら、さよなら。 車窓、浮遊感、フラッシュバック、断絶。 光、混乱、全身の痛み。 だめだったんだ。 自分がまだ生きていることに気がついた。 最初に考えたのは「よかったな」ってことだった。 自分でもこんなことを思うのは驚きだ。 頭がぐるぐるして考えがまとまらない。 どのくらいの時間が経ったのだろう。 まったくわからなかった。 これまでのこと、これからのことを考えていた。 突然、病室の扉がすっと開いて、黄色い雪だるまほどのキャラクターが現れた。 僕のことをじっと見つめると、矢継ぎ早に話しかけてきた。 「失敗したんだね。君はこれからどうするんだい?」 「わからない。でも、もう死にたいと思うのはやめることにするよ」 「じゃあ、新しいことを始めなよ」 「新しいこと? 好きだったことはいくつかあるけれど」 「ポエムコアをやるんだ」 「ポエムコア……」 ポエムコアとは、ダークなミュージックをBGMにポエムの朗読を行う、近年世界的に流行しているパフォーマンスのスタイルだ。 「君は、ポエムコアをやるんだ。ポエムコアを通して、断絶してしまった自分自身を繋いでいくんだ」 一度断絶してしまった自分をつなげることは難しい。 意識の連続とは、それほどにもろいものなのだ。 「ポエムコア……」 「君はもう大丈夫だね。僕はもう他の人のところへ行かなくちゃ」 「待って!」 そのキャラクターは病室の外へと駆け出した。 そこで僕の意識はまた途切れた。 気づくと僕は同じ病室にいた。 なんだか色々と話しかけられていたが、ほとんどの内容は覚えていない。 もう動いてもいいらしいということだけはわかった 全身に痛みが走るが、身体は動く。 自分という存在を繋げていくのは難しい。 でも、今はその道具を持っている。 自分を突き動かす何かがあった。 ここにいてはいけない。 心が走り出した。 病院から走り出し、息も切れ切れに、誰もいない部屋に戻ってきた。 取り出したのは一冊のノート。 ありったけの感情を吐き出す。 ポエムコアを続けるんだ。 物語はまだ終わらない。 ただいま。
9.
あなたがそんなに完璧じゃなかったなら、私がこんな思いをすることもなかったのに、と思う。 背が高くて、顔がきれいで、気がきいていて、仕事ができて、手先が器用で、愛想が良くて、あげ始めたらきりがない。 それでも、そんなあなたを好きになってしまったことを罪深く思うほど、私はまだ病んでいない。 あなたにはあなたの暮らしがあるし、私には私の暮らしがある。 だから、お互い好きにして、その結果どうなってもいいと思う。 開き直り過ぎだろうか。 私がもし、世界の最果てで死にかけていたら、あなたは私を愛してくれるだろうか。 ただ、同情するだけかもしれない。 それでも良いと、私は思う。 だってあなたが私をどう思おうが、それは自由だから。 そこに口出しする権利は、私にはない。 そう言えばこの前、駅前でホームレスを見かけたよ。 酔っ払ったサラリーマンがタバコを差し出して、それをうまそうに吸っていた。 私はそれを見て、タバコを吸ってみたいと思った。 1ミリのメンソールを買って、私はとりあえずタバコを吸ったという事実を作った。 でも、ヘビースモーカーの人からしたら、1ミリなんて空気みたいなものなんだろう。 嗜好品と呼ばれるものが私は好きなのかもしれない。 コーヒーだって、毎日飲むけど、尿になって消えていくだけだ。 それでもいいのだ。 人生なんて嗜好品のようなものだ。 みんなタバコの煙のように、何処かへ消えていく。 駅前のホームレスも、完璧なあなたも、そういう意味では同じものなのだ。 ああ、あなたには唯一欠点があった。 あなたは誰も愛さない。 愛しているような素振りはするかもしれない。 でも、本質的に人を愛することを、あなたはきっと知らない。 なぜ私がそんなことを知っているのかって? それは、ちょっとした感のようなものだ。 確証はない。 でも、そんな気がして仕方がないのだ。 あなたを見ていると。 今日は星が綺麗に見える。 そんなことを思いながら、何でもない一日を私は終える。 今日と明日が同じ一日でありますように。 今日と明日が違う一日でありますように。 どちらも本当の気持ちだ。 私には何もないとか、そんなことは思わない。 かと言って、これだというものがあるわけでもない。 そんな私。 なんだか私のことばかり喋ってしまった。 話は変わるけど、私は宗教が嫌いだ。 天国とか来世に救いを求める宗教は特に。 それは結局、現状に満足できない人々を無理やり納得させているだけにすぎない。 そういうのは嫌い。 あなたはそんな宗教と無縁でいられるくらいに完璧だから、こんなのはどうでもいい話かもしれない。 そう、どうでもいい。 それにしても今日は本当に星が綺麗だ。 私の心も、あれくらい綺麗になればいいのに。 でも、それは土台無理な話だろう。 私は今日も、薄汚れた心で1ミリのタバコを吸う。
10.
流れゆく いらかの波や 平和かな うららかな晴れた冬の日の昼下がり。僕たちは電車にのっている。黄色い電車は街の中、その少し上を走る。 窓からは温かい光が差し込み、その温度を和らげるように空調が微風をそよがせている。 昼間特有のまどろみがどことなくある。 音はといえば、空調と、親子のきれぎれの会話の声くらいである。 映画の冒頭のシーンを見ているようだ。何かが始まりそうな淡い期待。それが良いことなのか、悪いことなのかはわからない。ハッピーエンドなのか、はたまたバッドエンドなのかも。けれど実際はそんなこと、どうでもいいことなのかも知れない。 現実の世界には、ハッピーエンドもバッドエンドもない。あるのはただ、無数の暫定的な出来事と、重なり合う人々の一生だけだ。 ハッピーな展開とか、バッドな展開というのはあるかも知れないけれど。 そういう波の中を、無数の人生が蠢いている。互いに交わったり、交わらなかったりしながら。 そういう意味では、同じ電車に乗り合わせた赤の他人同士が言葉を交わし合うことはほとんどない。 ただ同じ時間と空間を共有して、一緒くたになって移動して、何人かは同じ駅で電車を降りる。けれどもやっぱり僕らは一向に、赤の他人のままである。 何はともあれ、差し込む光は温かく、いらかの波は呑気にその温かい光を反射している。 ガタタンガタン 不意に、目の前が暗転する。 次の瞬間、僕は夜の海辺に立っている。 遠くに町明かりが見える以外に光はない。灯台もない。 町の明かりを反射して、砂浜に落ちている青っ白い流木が光を放っている。 波の音がする。 それは想像するときよりもずっと微かで、聞こうとしなければ聞こえない。何か大きな動物の、寝息を聞いているような気持ちになる。 潮の香りがする。 波の音よりもこちらの方がずっとはっきりしているように感じられる。でもそれも、掴もうとすると逃げてしまう。 僕は、昼下がりの電車に戻りたいと思う。 ここは少し寒い。 徐々に潮が満ちてきて、立ち尽くす僕のスニーカーを、そしてその中の僕の靴下を、少しずつ濡らしていく。 左足を上げると、湿った砂浜の砂の「ぬちゃ」という感触がある。 目を閉じて、電車に満ちていた光を思い出す。 空調から出るそよ風を思い出す。 子どもが笑い、母親がその子を嗜める声を思い出す。 しばらくの間、また目の前が暗転するのを待ったが、その瞬間は一向に訪れない。 波打ち際から少し距離をとろうと後ずさる。 大きな流木がすぐ後方にあったので、それに腰掛けることにする。 流木は僕の体重で少し傾くが、僕の踵の辺りの砂に、その先にかつて枝があったものと思われる、幹から少しとびだした部分が食い込んで安定する。 僕は肩の力を抜いて、そこで深呼吸をする。そして波の音に、もう一度耳をすます。手をついた流木の表面に砂が付いているのを感じる。 波の音に自分の呼吸を合わせてみる。けれど海は、寄せたと思ったらいつの間にか返していて、返したと思ったらいつの間にか寄せている。さっきは一頭の大きな動物の呼吸だと思ったが、そういうものでもなさそうだ。たくさんの大きな動物の群れかも知れない。 いつの間にか月が出ている。ほとんど真ん丸の月だが、右上が少し欠けているようにも見える。 空には雲が多いから、月はあまり長い時間はっきりと姿を見せることがない。 雲の流れは早く、音もなく、町がある方に流れていく。 潮がだいぶ満ちてきた。 もう流木の辺りにも、波が打ち寄せて来始めている。 雲が月をすっかり隠してしまったとき、僕は流木から立ち上がる。そして一度、軽くつま先立ちになって伸びをして、左の足から前に踏み出す。 もう目の前は波打ち際だから、足が地面に着く前に「ちゃぷん」と音がする。 すかさず今度は右足を前に踏み出す。「ちゃぽん」。 左足。「ばしゃ、ちゃぽん」。 右足。「ばしゃちゃぽん」。 左、ばしゃちゃぽん。 右、ばしゃどぽん。 ばしゃどぷん。 ばしゃどぽん、 ばしゃどぽん、 ばしゃ、 ばしゃ、 ばしゃ、 ばしゃ… 腰まで浸かるところまでまっすぐ進んだあたりで、体が震えていることに気が付いた。寒いのは無理もないが、服を着たまま冷たい塩水に浸かる感触が、今は気持ちいい。 シャツの裾も濡れて、水面にゆらゆらと浮かんでいる。 また月が顔を出した。 僕は右手を水の中からゆっくりと引き上げて振りかざし、一呼吸置いて、その右手を、今度は勢いよく目の前の水面に叩きつけた。そしてそのまま、右腕から引っ張られるようにして水の中に上体を滑り込ませる。 「じゃぽーん」 身体が海水に包まれる。 頭の上で、髪の毛がゆらゆらとそよぐのがわかる。 たくさんの気泡が、仰向けになった背中を伝って登っていくのがわかる。 暗転が訪れる、と思ったが、それはやはりやっては来ない。 海の中は静かだった。 あんまり静かだから、僕は目を瞑って眠ることにした。
11.
「ジョンさん、ちーっす」 ジョンガのアパートに、真昼間から見知らぬ不良少年が押しかけてきた。 植物の観察日記をつけていたジョンガは取り合おうとしない。 「もー、ジョンさん聞いてくださいよー」 不良少年たちが木刀を振り回す。 「うるさいなあ、帰れよ」 ジョンガは無抵抗主義を貫く。 しかし、ジョンガの訴えも虚しく、彼は机から引き剥がされてしまう。 床に転げおちる角山ジョンガ32歳。現在無職。 右手にはペンタブ、左手にはよじり棒が握られていた。 彼はこれから大事な仕事に取り掛かろうとしていたのだ。 不良少年たちが帰ると、ジョンガはPCモニターを見つめる。 深夜1時に開くリーパー。闇の中が現場だ。 2015年、彼は衰退したポエムコアを蘇らせるための禁断の一手を考えていた。 2年前にPOOLが引退したことにより、ポエムコアは世間から忘れ去られようとしていたのだ。 失われた文化を再生するためには、過去を捨て、次のステージに進まねばならない。 そう決意したジョンガは、ポエムコアを超えるニュージャンルを提唱しようとしていた。 その名は「oscilloword」 繰り返されるキャッチーなメロディと洗練されたダンスビートにのせ、シュールなポエムが朗読される、 スタイリッシュな音楽だ。 歌詞には25ヶ国語の翻訳を付け、刺激的なプロモーションビデオも制作した。 そして彼は「銀シャリジミー」と名乗り、自身を19歳の大学生と偽ったのだ。 こうした作戦により、 彼の創りだしたoscillowordは瞬く間にヨーロッパを中心に話題となった。 今や「銀シャリジミー」の主催するネットレーベルからは毎日のように刺激的な音源がリリースされ、 クラブを借りて行われるリリースパーティには沢山の若者が集まっている。 そんなoscillowordシーンの状況を、かつての親友「新沢モトヒロ」が嫉妬の眼差しで見ていることなど、 ジョンガは知る由もなかった。 一流のポエムコアマンだった新沢はPOOL亡き後もポエムコアを作り続けていたのだ。 だが、今の新沢には作品を世界に発表するだけの勇気はない。 彼の最後の超大作「つくば叙事詩」は、今もPCのハードディスクの中だけに眠っている。 この事実を知っているのは、新沢本人と、もう一人。 黄色い悪魔「もにゃもん」だ。 「新沢くん、久し振りだね」 「その声は…」 「君のつくば叙事詩、聴かせてもらったよ。なかなかいい出来だね。  さすがのおいらでも360時間はこたえたけど、やっぱり君は一流のポエムコアマンだよ」 「あれはもういいんだ。誰にも聴かせるつもりなんてない。  それに、俺はもうポエムコアマンなんかじゃない」 「本当にそれで良いのかい?あれを世界に解き放てばoscillowordなんて一撃だよ?」 「そんな戯れ言はうんざりだ。俺はこの現実を受け入れる。  俺は、お前みたいに根拠の無い希望で人を躍らせる奴が大嫌いなんだ」 「残念だな。じゃあ最後に一つ教えてあげよう。銀シャリジミーの正体は、君の旧友ジョンガだよ」 新沢は黙りこんだ。 こいつの言うことは真実か、はたまた虚言か。 どちらにせよ、今すぐジョンガの元へ行かねばなるまい。 「それじゃあ、健闘を祈るよ」 そのキャラクターはそう言うと、いつものように消え去った。 新沢はしばし考えこみ、夜の街へとかけ出した。 かつてジョンガと激論を交わした、あの日の夜のように。 首都高の下をくぐり、繁華街を走り抜ける。 ただ闇雲に、自分を信じて走る。 走っているうちに、かつての思い出が蘇る。 「新沢くん、ポエムコアにはエロ本が必要なんだ」 「エロ本?」 「今じゃエロはネットで簡単に手に入る。でも俺は今でも隣町まで走ってエロ本を調達する。  なぜだと思う?」 「さあ…」 「何が本当で何が嘘かなんて誰にもわからない。だから俺は自分の目で見たエロ本の情報しか信じない。  振りかざすだけの正義じゃ本質には届かないんだぜ」 「おいらはもにゃもん。君に一つアドバイスをあげよう」 「君は、うなぎになるんだ」 「いやはや、君には負けたよ。新沢、君こそ世界一のポエムコアマンだ」 気が付くと、鬼怒川の川べりに素っ裸で立っていた。 「ちっ。服は空気抵抗で持ってかれちまったか」 そう思った瞬間、足首をがっつりと掴まれた。 「捕まえたぜ」 「お前は、ジョンガ…!」 「いつか俺を探しに来るんじゃないかと思ってたよ」 「お前があの銀シャリジミーなのか?」 「ああ、そうだ。もうポエムコアの時代は終わったんだよ」 「お前にとってはそうかもな。俺も、もうポエムコアマンなんかじゃない。  だが、ポエムコアはまだ終わっちゃいないんだ。振りかざすだけの正義じゃ本質には届かないんだろ?」 ジョンガは不気味な笑みを浮かべた。 「じゃあ、お前のポエムコア、聴かせてみろよ」 「ああ、望むところだ」 それから360時間、新沢はポエムを読み続けた。 街の雑踏、カラスの鳴き声、救急車のサイレン。すべてがポエムのバックトラックになった。 そして、新沢の朗読が終わった時、二人は無言で見つめ合っていた。 「新沢…やっぱりお前は本物だな」 「ありがとう。お前がそう言ってくれればそれでいい」 二人が握手をかわそうとした瞬間、目の前に黄色い雪だるまのようなキャラクターが現れた。 「新沢くん。突然の報告だけど、この物語はもう終わりなんだ」 「なに?…どういうことだ?」 「こういうことさ」 突然、新沢の周りの風景が紙の立方体を展開するように開かれていく。 辺りがホワイトアウトしたあと、気づくと新沢は自室で一人PCモニターを眺めていた。 机の周りには、空になったコンビニ弁当の容器が転がっている。 何が本当で何が嘘かはわからない。 ただ、このままなんとなく一日を終えるのは嫌だった。 新沢はタンクトップ1枚で6畳のアパートを飛び出す。 月の見えない夜だった。 「全てが嘘でもいい。俺が何者でも構わない。ただ、俺は俺のために走るんだ」 闇 スケベ心 ナイフのような自意識 今ここに、新たな物語が始まろうとしていた。

about

つくばポエムコア同好会(つくポエ)メンバーによるファーストフルアルバム

credits

released January 18, 2017

mixing&mastering:k.TAMAYAN
album artwork:おおわきさと詩

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